教会便り 2023年7月

矢車菊
花言葉:繊細


カトリック島田教会

〒427⁻004

島田市中河町344

0547-37-1906



当たり前のことではないありがたさ

焼津教会主任 牧山善彦神父

 焼津教会に赴任して4年目に入りました。新型コロナウイルス感染症の影響で赴任当初から様々な活動を制限せざるを得なかった日々が続いていましたが、感染症法上の分類が5類に切り替わったこともあり、少しずつコロナ以前の活動が戻りつつあります。焼津教会ではミサの歌唱が全面的に復活し、イベントの後のパーティやミサ後の交流のためのコーヒーショップが再開するなど、活気が増してきています。完全に収束したわけではないですが、上手に感染症と付き合いながら出来ることを積み重ねていくというのは、この数年の経験のなかで組み上がっていったものなのかなぁと思います。教会と訳される「エクレシア」とは、単に教会堂を指すだけでなく、主によってともに呼び集められた共同体であるわたしたち自身を指す言葉でもあります。

 この意味では、主の日のミサ以外の日々においても、わたしたちはイエス様とともに生き、教会共同体の一部であり続けています。それでも、主の日のミサはわたしたちの信仰の歩みのなかで特別な位置にあるのだと、特にコロナ禍でともに集うことが難しい日々を通じて感じさせられていました。第二バチカン公会議の『典礼憲章』において「聖なる典礼は、教会の全活動を果たすものではない」(9項)が、「それにもかかわらず、典礼は教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉である。」(10項)「他方、典礼そのものは、「過越の諸秘跡に」満たされた信者が「敬虔な心で一つに結ばれる」よう励まし、「信仰によって受け止めたことを、生活によって保つ」よう祈る。また、感謝の祭儀における主と人類との契約の更新は、信者をキリストの駆り立てる愛に引き寄せ、それをかきたてる」(同項)ものと言われます。典礼というある種の非日常と日々の生活が循環し合えるのが、当たり前のようで実は当たり前でない、大切なことだということも、コロナ禍で得た気付きのひとつなのかもしれません。だんだんとコロナ前の日々を取り戻しつつある今だからこそ、当たり前でないありがたさに心を留め、感謝したいところです。

                                

 

キリスト者の謙遜

編集子 

 古参の信者さんのご夫君が、この世の務めを果たして、永遠の命へと旅立たれました。

 会葬御礼の言葉に感銘を深く致しました。

 「家族を守り支え ひたむきに生きた九十年でした」

 「お父さんが一生懸命働いて学校に出してくれたおかげで、皆今の仕事についてがんばっています。ありがとうございました」

 子どもたちから贈られたその言葉は、夫に届いたでしょうか。

 若い頃、文学を志しながらも父親の勧めに従って後の仕事に繋がる道へ進んだ夫。定年まで誠実に働いて家族を支えてくれました。四人の子どもたちには「反対しないから、やりたいことをやりなさい」と言ってくれて・・。でもきっと、何より手本となったのは、家族を思う夫の真っ直ぐな生き方だったでしょう。・・・今いる場所で与えられた命を自分らしく実直に紡いだ人生、夫自身もきっと満足していると信じています。私たちからは心からの感謝をこめ「ありがとう」と伝えます」

 古代ローマにおいて「ピエタス」は、もともと親、祖国、神々に対する敬愛の情、それを表現する行為を意味していました。「ピエタス」は、自己の存在が、そこから由来する根源に対する敬愛の情であり、当時の人びとを公私にわたって支配すべき最も重要な徳でした。

 親、祖国、神々という三つの対象のうち、個人にとって最も直接的に自己の存在の根源であるものは親でした。

 会葬御礼では、自らの親に対して、また子供たちにとっての親として、生涯を賭けて、範を垂れ、古代ローマの人びとにとって最も大切な徳であった「ピエタス」とは何であったかを、私たちに教えてくれています。

 心からご冥福をお祈りいたします。



7月の暦

  

7月2日 年間第13主日・11時

7月9日 年間第14主日・1時

7月16日 年間第15主日・徳山教会・11時・13時30分

7月23日 祖父母と高齢者の為の世界祈願日・年間第16主日・11時

7月30日 年間第17主日・11時

平和の祈り(ロザリオの祈り)・毎週土曜日・9時30分


訃報

6月18日 中田美登子様ご夫君中田京二様 帰天


7月の予定

運営推進会議 7月2日  ミサ後

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