教会便り 2023年 1月

水仙
花言葉:自己愛


カトリック島田教会

〒427⁻0041

島田市中河町 344

0547-37-1906


一年の計は感謝にあり

藤枝・島田教会主任 金子尚志神父

 今年もコロナ禍で始まりコロナ禍で終わろうとしています。新しい年もコロナと折り合いをつけながら過ごすことになりそうです。これほどコロナ禍が長期化すると誰が想像したことでしょうか? それでも一人ひとりが何かを抱えながら新しい年を迎えられることと思います。子供のころ「一年の計は元旦にあり」という言葉をよく耳にしました。すなわち物事は最初が肝心であり元旦にその年の計画を立てるのが良いということですが、いつもその後に続くのが「三日坊主」という言葉でした。人生を考えるとき幼児期、学童期、少年期は夢や希望から始まり少しずつ現実にぶつかり軌道修正を余儀なくされます。壮年期、高齢期を迎えると人生のゴールが見えてきます。この時期は感謝の念で終わることが理想的だろうと思います。しかし現実にはいくつになっても「あれが欲しい」「これが食べたい」「あそこに行きたい」という願望が先行します、すなわち願望や欲望は自然に湧いてきますが感謝の念は立ち止まって時間を取り思い巡らさないとすぐには思い浮かびません。日常生活で直接係わっている人の言動に感謝することは容易ですが、過去の出来事を思い巡らすとき今ここにある自分が多くの人に支えられて生かされていることに気付きます。振り返りや思い巡らしのない人生は不平と不満だけになってしまいます。

 待降節第一主日からミサの文言が新しくなり戸惑いながらも少しずつ習得しつつあります。私たちは通常ミサということばで表現される祭儀ですが、一番中心的な部分は「感謝の祭儀」と呼ばれています。すなわちイエスが最後の晩餐で弟子たちを前にして残された聖変化の文言がミサの中心部分を成しています。

 「主イエスは渡される夜、パンを取り、あなたに賛美と感謝をささげて、裂いて、弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである』」から来ています。死を受容せざる負えない追い詰められた状況にあっても御父への賛美と感謝を捧げられました。それは苦しみや困難にあっても御父への揺るぎない信頼と感謝でした。

 私たちが未来を歩むとき確かに夢や希望を支えとして進むときがあります、しかし過去を思い巡らし愛された記憶に出会いそれが歩む力となるのも確かです。過去を思い巡らし感謝し歩まれた人、それが1月1 日(日)に祝われる「神の母マリア」の姿です。この日の福音に「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ 2.19)と記されています。2023 年が思い巡らし、神さまに感謝し、共に歩む共同体となることを願っています。



第17 回運営推進会議

日時:12月4日(日) ミサ後

場所:集会室

参加者:10 名

1.報告事項

クリスマスのミサについて

献堂 60 周年記念ミサについて

キリスト教一致祈禱週間について

聖書週間について

黙想会について

掲示板の更新

教会便り 12 月号

ホームページの更新

2.議題

献堂 60 周年記念ミサについて

新教会委員長・吉田真恵さん推薦について

その他

文責:八木



月の兎

植野明蹟

 あたりは一面の菜の花畑です。

 今日も、良寛さんは里の子どもたちと、まりつきやかくれんぼに興じていました。

「良寛さま、おもしろいお話しをしてよ」

 遊び疲れた良寛さんが、れんげやたんぽぽの咲き乱れる原っぱに腰をおろしますと、子どもたちも傍らに寝そべって御花h詩をせがみました。

「よーし、それでは」

 子どもたちは、手を叩いて喜びました。

 むかしむかし、遠い天竺の山奥の林のなかにな、猿とキツネと兎が住んでいたのじゃ。この三匹のけだものは、とっても親切で、ほんとに仲よく暮らしていたんじゃ。そのことを聞いた天の神様・帝釈天が、「感心なことじゃ、ひとつ試してみよう」とお思いになって、みすぼらしい、よぼよぼのおじいさんの姿になって林の中へ入っていったのじゃ。すると、このあわれなおじいさんの姿を見つけたけだものたちは、すぐにそばへ走ってきたのじゃ。

 「みなさん、わたしは昨日から、まだなにも食べていません。すまないが、なにか食べ物を恵んでくださらぬかのう」

 おじいさんは木の根っこに腰をおろして、力のない声でこう頼んだのじゃ。それを聞いた仲間たちは、互いに目で合図をしたかと思うと、すぐに林の奥へ駆けていったのじゃ。

 しばらくすると、猿はおいしい木の実をたくさん取って来て、おじいさんに食べさせたのじゃ。

 ところが、兎もなにかおいしいものを、おじいさんに食べさせたいと思って、あちらこちらを駆けまわって探したのじゃが、とうとうなんにも見つけることが出来なくて、しょんぼり戻ってきたのじゃ。そして、しばらく考えてから、猿にむかって、言ったのじゃ。

「さるくん、すまないがたき木を集めてきてくれないかね」

「よしきた!」

 猿はさっそく枯れ枝をたくさん抱えてきて、兎の目のまえに積み上げたのじゃ。すると、こんどは狐に向かって頼んだのじゃ。

「きつねくん、おねがいだから、火打石を拾ってきておくれね」

「よーしきた!」

 狐はすぐに林の向こうへ走っていったかと思うと、きれいな火打石を持ってかえってきたのじゃ。すると兎はまた言ったのじゃ。

「きつねくん、ありがとう。なんどもすまないが、このたき木に火をつけてくれないかね」

「はいよ!」

 狐が火打石をすり合わせて火をつけると、たき木はぼーっと燃えだしたのじゃ。そのとき兎はなあ、

「お気の毒な旅のおじいさん、わたしは、さるくんのように、木に登ることができません。また、きつねくんのように、泳ぐこともできません。それでわたしは、なんにもさしあげることができないのです。けれども、幸いわたしの肉は美味しいので、このわたしのからだを食べてください」

 こう言ったかと思うと、兎は燃えさかる火のなかに飛び込んで、あっというまに、焼け死んでしまったのじゃ。猿も狐も、びっくり仰天、余りの悲しさに、大声をあげて泣き出したのじゃ。

 ところがそのとき、これまでのみすぼらしいおじいさんは、急に立派な神さまのすがたにかえったのじゃ。そして神さまは、火の中の焼けただれた兎を やさしく抱き挙げて、目に涙をたたえながら、静かにおっしゃったのじゃ。

「おまえは、ほんとに親切な子じゃのう。さあ、わたしと一緒に、天へ昇ろう。自分のからだを焼いてまで、わたしにたべさせてやろうとしたお前の命は、きっと、生きかえるのじゃよ」

 そして、神さまは、こんどは猿と狐のおっしゃったのじゃ。

「お前たちも感心な子じゃ。うさぎがいなくなっても、いつも仲よく助け合ってくらすのじゃぞ」

 こう言い終わると、天の神さまは、兎をしっかり抱きしめて、月のご殿へ昇っていかれたのじゃ。猿と狐は、鳴きながら、いつまでも空の彼方をみまもっていたのじゃ。

 その晩から、お月さまのなかに、お餅をついている兎の姿が見えるようになったということじゃよ。

 いつのまにか良寛さんは、涙で声がうるんでいました。子どもたちも、かわいい手で目を押さえていました。



1 月の暦

1月1日:神の母聖マリア・11 時

1月8日:主の公現・11 時

1月15日:年間第 2 主日・徳山教会・11 時・13 時 30 分

1月22日:年間第 3 主日・11 時

1月29日:年間第 4 主日・11 時


1 月の予定

教会一致祈祷週間 1 月 15 日~

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