教会便り 2021 年 12 月
寒椿
花言葉:謙譲
カトリック島田教会
〒427⁻0041
島田市中河町 344
0547-37-1906
まるごとの愛・・・お生まれになったイエスさま
焼津教会主任司祭 牧山善彦
アンパンマンの作者である作家・やなせたかしさんが編纂した『愛の誕生日』という詩集があります。そのなかから、池田寿里さんが書いた「まるごとの伝説」という詩を紹介したいと思います。
記憶をずっとたどっていっても
生まれた日のことは思い出せないのに
不思議だね みんな自分の誕生日を知ってるなんて
パパとママのお話 まるごと信じて得意顔
でも、もしかして、 一日、二日の感違いなんて
ほら、誰にでもよくあることじゃない?
なんて おどかしてみても
まるごと信じたお話は もうあなたの中で一人歩きしている
ねえ 人間って うまいこと でだしから
まるごと人を信じて生きていくように できている
誕生日って きっと
まるごと人を信じることをお祝いする日
主の降誕の日中のミサでは「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」と、ヘブライ人への手紙の冒頭の箇所が朗読されます。かつて多くのかたち、多くのしかたで語られた神に対して、イスラエルの民はたびたび神のみ心から離れ、主の目に悪とされることを重ねていました。にもかかわらず、救いの営みの実現への時が満ち、決定的な仕方で神が人と関わる際、御父は御子をひとりでは何もできない無力な赤ちゃんとして世にお遣わしになりました。幼子はいわば、まるごとの愛のしるしと言えます。幼子としてお生まれになったイエスさまを通して、わたしたちは自身の存在すべてを(その中に弱さや背きの傾きがあってもなお)まるごと信じ、愛して、いのちを与えてくださる神さまを知ることができます。先ほどの詩の言葉を借りるなら、主の降誕は「まるごと人を信じてお生まれになったイエスさまをお祝いする日」であり「神さまがわたしたちをまるごと信じ、愛していることをお祝いする日」でもあると言えるでしょう。待降節と降誕節を通して、わたしたちの内で歩みを広げ続ける主のまるごとの愛の物語を、ともに深めていくことができますように。
第7回運営推進会議 2021.11.7
日時:11 月 7 日(日) ミサ後
場所:集会室
参加者:7 名
1.報告事項
各係からの経過報告
志太榛原宣教司牧委員会主催の黙想会の開催予告
ベルナデッタ像購入募金終了
駐車場周辺の植木の整備
馬小屋とクリスマスツリーの設置
掲示板の更新
教会便り12 月号の発行
ホームページの更新
2.議題
教会便り・巻頭言執筆者の一員として参加
聖書週間にあたり、聖書展を開催
一坪文庫の準備
文責:八木
現代日本人の宗教意識(4)
―ISSP 国際比較調査「宗教」によるー
編集子
伝統的な価値観
(1)「お天道様が見ている」と言う意識の希薄化 新聞紙上等で、財布を置き忘れても、中身がそのままの状態で交番に届けられていたという美談が、時折、掲載されている。
特に、日本へ旅行中の外国人がこのような体験をした場合、驚いて、日本人の行動がほめたたえられることが多い。
拾った財布を、中身に手を付けずに、そのまま届けるという行為の根底には、法の順守という意識もさることながら、「人には知られなくても、悪いことをすれば、いつか必ず報いがあるものだ」という思い、俗に言う「お天道様が見ている」という意識もある。
2018 年の統計によれば、
①「人には知られなくても、悪いことをすれば、いつか必ず報いがあるものだ」という質問に対して、「そう思う」と答えた人は 62%であった。
②「人間には、自分の力ではどうすることもできない運命というものがある」に対して、「そう思う」と答えた人は 53%であった。更に、
③「神仏に願えばかなえてくれそうな気がする」に対して、「そう思う」と答えた人は 36%であった。
④「祖先の人たちとは深い心のつながりを感じる」に対して「そう思う」と答えた人は 30%であった。
⑤「神でも仏でも心のよりどころになるものが欲しい」に対して「そう思う」と答えた人は 28%であった。
以上の質問事項の中でも、特に重要な①と②に焦点を絞って、前回の 1998 年と比較すると、
① については、1998 年の 74%から 62%へと大きく減少していて、
② についても、1998 年の 63%から 53%に減っている。 とりわけ、減少幅の大きかった①について、更に、年代別に、1998 年と 2018年を比べると、「そう思う」と答えた人が、50 代以上で減少していて、特に 70歳以上では、84%から 57%へと、大きく減っている。
参照:小林利行:日本人の宗教的意識や行動はどう変わったか
~ISSP 国際比較調査「宗教」・日本の結果から~
書評 斎藤幸平著:人新世の「資本論」 集英社新書
編集子
表題の、耳慣れない「人新世」とは、人間の活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味を持ち、本書では、今や、人類が築いてきた文明が、存続の危機に直面していると説かれている。
近代化による経済成長は、豊かな生活を約束していた筈だったのに、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、将に、経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実、私たち人間が、地球のあり方を取り返しのつかない程、大きく変えてしまっているという、仮借なき現実を、直視しなくてはならないと説いている。
正しい方向を目指す為には、気候危機の原因に迄、遡る必要があり、その原因の鍵を握るのが、資本主義に他ならないこと。何故なら、二酸化炭素の排出量が大きく増え始めたのは、産業革命以降、資本主義が本格的に始動して以来のことだから。
本書では、国連の SDGsに疑義を唱え、気候危機の時代に、より良い社会を作り出すために、使用価値経済に転換して、労働集約型のエッセンシャル・ワークを重視すること、労働時間の短縮、画一的な労働を齎す分業を廃止して、労働の創造性を回復させること、生産過程の民主化、エッセンシャル・ワークの重視が力説されている。
人が力を合わせて連帯し、資本の専制から、この地球という唯一の故郷を守ることが出来れば、その時にこそ、肯定的に、その新しい時代を「人新世」と呼べるようになるとも言っている。
その未来に向けた一筋の光を探り当てる為には、政策の転換よりも、更に一歩進んで、社会システムの転換を志すことが必要であり、中途半端な解決策ではなく、石油メジャー、大銀行、デジタル・インフラの社会的所有こそが必要とされていることに触れ、資本主義が引き起こしている問題を、資本主義という根本原因を温存したままで、解決すること等出来はしない。
解決の道を切り拓くには、気候変動の原因である資本主義そのものを徹底的に批判する必要があることを主張している。
加えて、国家や政治家たちのトップダウン型の統治形態に陥らないようにする為には、市民参画の主体性を育み、市民の意見が国家に反映されるプロセスを制度化していくことが欠かせないと説いて止まない。
12月 5日:待降節第2主日・宣教地召命促進の日・ 11時
12月12日 :待降節第3主日・11時
12月19日: 待降節第4主日・徳山教会・11時・13時30分
12月24日 :待降祭前夜ミサ・17時30分
12月25日 :主の降誕・9時・藤枝教会
12月26日:聖家族 11時
平和の祈り(ロザリオの祈り):毎週土曜日 9時30分
12月の予定
12月 4日(土)13時: 待降節黙想会 藤枝教会(志太榛原地区宣教司牧主催)
12月 5日(日)ミサ後: 運営推進会議
12月11日(土)13時 :クリスマス福音宣教・楽興の時―高田三郎の典礼聖歌―
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