教会便り 2021 年 11 月
ヒイラギ
花言葉:先見の明
カトリック島田教会
〒427⁻0041
島田市中河町 344
0547-37-1906
11 月、「死者の月」に想う
藤枝・島田教会主任 金子尚志神父
教会の典礼暦で 11 月は「死者の月」です。キリスト者の間では2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第にミサが伴うようになりました。
ところで私たちが死者について考えるとき、三つの人称について考えることができます。一つは「三人称の死」です。すなわち私とは関係のない第三者の死です。遠くの世界で戦争やテロで亡くなった「彼らの死」やまた事故や事件に巻き込まれて亡くなった「彼女の死」です、これが「三人称の死」です。一時はその悲惨さに心が奪われてもすぐに自分の日常生活に戻ってしまいます。次に「二人称の死」があります、私にとっての祖父母や、夫、妻、子供、友人、恋人など身内と知り合いの死です。それは私にとって「あなた」と呼ぶ関係の「二人称の死」です。この死に立ち会うとき人は大きな痛みや喪失感を体験します。それは私の一部が崩壊し足元が揺らぐどん底体験となります。最後に「一人称の死」です。医者が困惑した顔であと余命○○月・・・と宣告されたときです。それが「私」の死です。他人ごとではなくこの私の「一人称の死」です。そこでは呻(うめ)きと嘆きが口から漏れます、そして「どうしてこの私が・・」と神様に訴えかけます。このように死はいつも私たちの身の回りにあります。
私たちが死者を思い祈るときどうしても「自己中」「身勝手」「わがまま」「独善的」・・・になります。なぜなら死者のために祈ることは自分の身内や知人のため、すなわち二人称で亡くなった人たちのために祈ることです。もちろん死者のために祈ることは良いのですがそこには自己中の落とし穴がいつもあります。私たちキリスト者が死者のために祈るとは、時間と場所を超えてすべての死者のために祈るようにと招かれています。あの事故で亡くなった私の知らない人、あの自然災害で命を落とした子供たち、どこか遠くでの戦争の犠牲者など、そこでは私の会ったことも言葉を交わしたこともない死者です、さらに善人でも悪人でもすべての死者のために祈ります。まさに「三人称の死」者のための祈りです。私にとって第三者の死に対して小さな祈りを捧げることこそ私たちの心を世界に向けて広げます。なぜなら私たちはミサの時の使徒信条の一節にある「聖徒の交わり」へと招かれているからです。そこでは私のために人知れずに祈ってくれた人との喜びの出会いがあり、私が祈った人との交わりの場が待っています。想像してみてください、単なる身内や知人だけでなく見ず知らずの人が私のために密かに祈っていてくれた、私も一度も会ったことのない第三者のために祈ったことが喜びと感謝の内に顕わにされるときです。このように考えると私の死は「聖徒の交わり」への入り口です。イエスを中心にして天上の宴は尽きることのない歓喜の世界です。すべての死者のために祈ることは「聖徒の交わり」への準備です。もしそれがただ身内や知人だけの交わりならなんと寂しいことでしょう。「死者の月」、祈りのとき、天上と地上が出会うとき、私と世界が交わるときです。キリスト者は全世界からすべての人のために祈ることを託された人たちです。
(メメントモリ)
待降節の黙想会(共同宣教司牧委員会主催)
志太榛原地区には3つの小教区(藤枝・島田・焼津)と 2 つの巡回教会(徳山・吉田)があります。私たちはお互いに情報を交換し連絡を取り合ってより良く「宣教」と「司牧」を推進しています。その中で今回は待降節の黙想会を企画しました。少しでも信徒一人ひとりが主の降誕の準備が出来ればと願っています。
日時:12 月 4 日(土)午後 1 時開始~4 時半終了
場所:カトリック藤枝教会 聖堂
講師:金子尚志神父
テーマ 「イエスはあなたの中に居場所をさがす神」
※講話後にミサ有 可能なら各自聖書持参
第6回運営推進会議
日時:10月3日(日) 12 時~13 時
場所:集会室
参加者:7 名
1.報告事項
会計係から会計報
敬老の日、御聖体とお祝いの品物をお届けした。
島田市福祉課・フードセンターへ申請して、支援物資を受け取って、お届けして、喜ばれた。
庭木の手入れをした。
掲示板を更新した。
教会便り10月号を発行した。
ホームページを更新した。
2.議題
ベルナデッタ像を、ルルドにお迎えすることとし、購入について、皆さんからの支援を呼びかけることにした。
文責:八木
現代日本人の宗教意識(3)
―ISSP 国際比較調査「宗教」によるー
編集子
―神仏を拝む頻度―
仏壇所有率は変化なし、拝む頻度は低下している
「仏壇を拝むことがあるか」という問いに対して、
「毎日拝む」が、20%、「ときどき拝む」が22%、
「仏壇はない」が27%。
10 年前の 1998 年のアンケートと比べてみると、「毎日拝む」が24%から20%に減っている。
「拝むこともある」が、21%から25%に増えている。
「仏壇はない」は、10 年前と変わらなかった。
時系列の結果を見ると、仏壇の所有率は、変わらないのに、拝む頻度は低下している。
このことは、以前に見た「何らかの宗教を信仰している」
人の割合はかわらないながらも、神仏を拝む頻度は低下しているということと、構造的に似ている。
「神仏を拝む頻度」について、出生年代に着目すると、2008 年の 30 代は9%で、10 年後の 2018 年には、40 代なった時も9%だった。
このように、同じ年代に生まれたグループは、年齢が上がっても数字が変わらない。一方、2008 年の 30 代は、9%だけれども、2018 年の 30 代は4%となっている。出生年代が違えば、拝む頻度も違うことが分かる。
育った世代ごとに受けた影響によって、意識や行動が異なる「世代効果」が窺える。
1998 年に 30 代だった人は9%で、10 年後の 2008 年に 40 代になった時には、13%、更にその十年後、2018 年に 50 代になった時には、16%となり、年齢が上がる程に増減する「加齢効果」が窺える。
概して言えば、「神仏を拝む頻度」には、「世代効果」が窺え、「仏壇を拝む頻度」には、「世代効果」+「加齢効果」が窺える。
参照:小林利行:日本人の宗教的意識や行動はどう変わったか
~ISSP 国際比較調査「宗教」・日本の結果から~
11 月 7 日 :年間第 32 主日・ 11 時
11 月 14 日 :年間第 33 主日・ 11 時
11 月 21 日 :王であるキリスト 徳山教会・11 時・13 時 30 分
11 月 28 日 :待降節第1主日・ 11 時
平和の祈り(ロザリオの祈り)毎週土曜日: 9時 30 分
11 月 7 日 :第一朗読・三輪、第二朗読・ フィリピングループ、共同祈願・A グループ
11 月 14 日: 第一朗読・鈴木、第二朗読・ フィリピングループ、共同祈願・B グループ
11 月 21 日 :第一朗読・永田、第二朗読・フィリピングループ、共同祈願・C グループ
11 月 28 日 :第一朗読・田平、第二朗読・フィリピングループ、共同祈願・Dグループ
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