教会便り 2022 年 4 月

睡蓮
花言葉: 信頼


カトリック島田教会

〒427⁻0041

島田市中河町 344

0547-37-1906


十字架は派手であり、復活は地味である

藤枝・島田教会主任 金子尚志神父

 とんがり屋根の先端に十字架が設置されているとすぐに教会であることが分かる。また一般に販売されている墓苑や墓地に行き、そこで墓石に十字架が刻まれていると故人が生前キリスト者であったことが窺える。あるいはカトリック教会で親しまれているロザリオの先端にも十字架が用いられている。またペンダントやアクセサリーにも広く十字架が用いられているが、本人がキリスト者であるかどうかは問わない。いずれにしてもキリスト教と言えば「十字架」である。この十字架の出来事は聖週間の「聖金曜日」(今年は 4 月 15 日)の典礼で頂点を迎える、また毎年 9 月 14 日を「十字架称賛の祝日」として別途祝っている。十字架は、当時ローマ帝国の最も残酷な死刑の道具であった。このような刑罰の道具である十字架がなぜこれほど至るところで目にするのだろうか?それよりも私たちキリスト者にとって最も喜ぶべき祭日は「主の復活」(クリスマスではなく)であるが、それを祝ってどのようなシンボルを飾ることができるのだろうか? 復活の「ゆで卵」でも飾るのだろうか?

 福音の中でイエスの十字架の死は群衆の面前で公に執行された、人々はイエスを「十字架につけろ! 十字架につけろ!」と罵声を浴びせ死に追いやった、その意味で「十字架は派手である」、しかし三日後に復活されたイエスは限られた人、すなわち生前イエスを愛していた人にだけ現われた。その意味で「復活は地味である」。イエスの復活は十字架に付けた人たちを見返すためでも、皆をアッと言わせるための奇跡でもない、それはイエスを愛した人たちが信仰生活で困難に出会ったときでも絶望することなく信仰を生き抜くことができるようにとのイエスの励ましであり希望のしるしである。人生には必ず産みの苦しみが伴うこと、そしてそれをイエスと共に乗り超えることができるようにと主は復活された。主の復活は十字架のように飾たり身につけて持ち歩くためでなく、あなた自身の生き方が主の復活の証人でありシンボルである。私たちは毎週、「主の復活」を祝ってミサに参加する、過去がどのような苦しみや困難(十字架)があったとしても主の祭壇を囲んでイエスの復活をお祝いし愛する力であるご聖体を頂く。私たちはこのイエスの生き方を祝って声高らかに讃えるのである、「主は、まことに復活された。アレルヤ!」と。



黙想会のお知らせ

 昨年、共同宣教司牧委員会の企画で待降節の黙想会を行いました。今年も年 4 回の黙想会を企画しています。今年は「イエスに出会う」という一貫したテーマで行います。私たちの信仰が人となられたイエスの思い、ことば、その人柄、さらにその立ち振る舞いに出会い、そのことを祈りの中で味わうことで神さまがより身近に感じられ、人生をイエスとともに親しく歩めることを意図しています。

 「イエスと出会う」という一貫したテーマですが、イエスとの出会いをより深めるために毎回サブタイトルを提示します。連続して参加できなくても毎回完結した講話と祈りになりますので都合の良い時に参加してくださればありがたいです。

金子尚志神父

日時: 第二回・ 6 月 25 日(土)

第三回 ・9 月 24 日(土)

第四回 ・12 月 3 日(土)

いずれも 13:30~16:00(予定) 毎回ミサ有り

場所:藤枝教会聖堂

※ 第一回「イエスと出会う」―人間を見つめるイエスの眼差し-

※ コロナ禍の影響で急な中止がある場合はご了承ください。



現代日本人の宗教意識(6)

―ISSP 国際比較調査「宗教」によるー

編集子

5.宗教に求めるもの

(1)「癒やし」「友人をつくる」減少

 宗教のこの二つの役割「困難や悲しみを癒す」と「友人をつくる」を 2008 年のデータと 2018 年との比較でみてみると、「困難や悲しみを癒やす」の「そう思う」が 45%から34%へ、「友人をつくる」の「そう思う」が、23%から 11%へといずれも減少している。

 この 10 年間で、10 ポイント以上減っているケースは珍しく、少なくともこの 2 つの役割を求める人は大幅に減っていると言える。

参照:小林利行:日本人の宗教的意識や行動はどう変わったか

~ISSP 国際比較調査「宗教」・日本の結果~



書評 堤純子著:アーミッシュの老いと終焉 未知谷出版 2021 年

編集子

 アーミッシュは、1693 年、再洗礼派のスイス兄弟団ヤコブ・アマンが、少数の同調者と共に旗揚げをし、1737 年、ナンシー号でフィラデルフィアにやってきた21家族を皮切りに、現在、アメリカのオハイオ州とペンシルバニア州を中心に、現代文明の利器を排して、皆、力を合わせて、助け合って生きています。

 アーミッシュのお年寄りは、その多くが農業を生業としてきた。老いについて、今は人生の夕暮れ時だ。おとなも子どもも、朝に一日を軽快にスタートさせても、夕方になると疲れてくる。人生も同じで、歳と共に疲れやすくなる。夜は休息の時間だ。眠りは一日の苦労や心配を忘れさせてくれる。私たちの人生も、夕陽の残光が消えて、夜が訪れると、永遠の休息の時を迎える。こうして命あるものは年と共に衰え、やがて消滅するけれども、それは自然の法則に従っているだけのこと。生まれて、存在し、そして消えてゆく。この繰り返しが歴史を作り。知恵を生み出していきます。

 すべての命は神から与えられる。ひとは、神の計画に基づいて与えられた立場と状況の中で最善を尽くし、死をもってその役目を終えて神のもとに戻る。このような意識が、アーミッシュの死生観の根源をなしています。

 アーミッシュがアメリカ社会の一員として十分な直接生産活動を行っていることはいうまでもない。さらにこの人たちは、人は一人ひとりが、神の「善」を実現するための役割を果たしているという強い意識を持っている。このことは、この人たちが、間接生産活動にも目を向け、その意義を重視していることの証左に他なりません。直接生産活動と間接生産活動の均衡がとれている社会は、豊かさと快適さをもたらしてくれるが、まさしく、それこそがアーミッシュの社会なのです。

 アーミッシュは老若男女を問わず日常的によく体を動かしている。電気を使わないので日常の作業量が多いが、忙しい日常の合間をぬって、まわりの人のためによく働く。その根底にあるのは、聖書に基づく助け合いの精神である。自分が働くことで他の人を楽にし、喜ばせることが出来れば、それこそが神を喜ばせることだと考えています。「暇な時間は悪魔が活躍する」はアーミッシュがよく使う格言です。

 アーミッシュは、高齢者から多くのことを学んでいて、ここでは、「白髪は栄光の冠である」(箴言)



4 月のカレンダー

4 月 3 日 :四旬節第 5 主日・ 11 時

4 月 10 日 :受難の主日(枝の主日)・ 11 時

4 月 14 日: 聖木曜日(主の晩さん)・藤枝教会・19 時

4 月 15 日 :聖金曜日(主の受難)・藤枝教会・19 時

4 月 16 日:聖土曜日(復活前夜祭)・藤枝教会・19 時

4 月 17日:復活の主日・徳山教会・11 時、13 時 30 分

4 月 24 日:復活節第 2 主日(主のいつくしみの主日)・11 時

平和の祈り(ロザリオの祈り):毎週土曜日・9時 30 分


4 月の予定

4 月 3日(日):運営推進会議

0コメント

  • 1000 / 1000