教会便り 2021 年 8・9 月
ムクゲ
花言葉:信念
カトリック島田教会
〒427⁻0041
島田市中河町 344
0547-37-1906
キリストの平和
カトリック島田教会 金子尚志神父
8 月に入ると日本では「平和」に関する記事やニュースが良く取り上げられます。もちろんそれは先の大戦が 8 月 15 日に終了したことに起因しています。日本のカトリック教会でも毎年 8 月は平和旬間(今年は 8 月 6 日~15 日)として各教区や小教区で種々の催しやイベントが開かれ平和について再考されます。しかし私たちキリスト者が平和を語るときには先ずキリストの平和」から出発しなければなりません。イエスは言います「 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ 14.27)。さらに彼は言います、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである(ヨハネ16.33)。ところでイエスが与える「わたしの平和」とは何でしょうか?わたしはイエスによって「平和」を得ているのでしょうか?
多くの人間が心に持っているのは痛みや不安さらには嘆きであって平和ではありません、さらにその根底には「被害者意識」が渦巻いています。あの時のあの出来事が、あの出会いが、あの一言が・・・これらのことで魂はいつも脅かされ平和はありません。イエスはこのような人間の状況を良く知っていました。彼は言います、「私は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない」(マタイ 12.20)、どこか古傷が痛み不安がくすぶりおぼつかないのが人間の心です。そのような人間を見捨てることなく生涯寄り添い共に歩まれる方がイエスです。
「『その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ 1:23)。
「私が神と共にいる」のではない、「神が私と共にいる」のである。
あなたが神を忘れても、あなたを忘れず「共にいる神」である。
あなたが神を信じなくても、あんたを信じて「共にいる神」である。
あなたが一人ぼっちで孤独に苛(さい)なまれるときでも、「共にいる神」である。たとえ絶望の淵で「神も仏もいるものか」と嘆いても、「共にいる神」である。
イエスが受難と十字架の死を前にして弟子たちは恐れて彼を見捨てて逃げ去りました。復活されたイエスはこのような弟子たちの真ん中に立って二度も「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ 20.19,20)と励まします。生涯、私たちと「共にいる神」でありどんなことがあっても見捨てることなく「あなたがたに平和があるように」と励ます神です。このイエスの思いの中に「平和」の原点と源泉があります。ミサ聖祭の後半で「平和」の挨拶を交わします、司祭が会衆に「主の平和がいつも皆さんとともに」と招き、会衆も「また司祭とともに」と応えます、そして「互いに平和のあいさつをかわしましょう」と促します。それはキリスト者がどのようなときでも私たちと「共にいる神」に希望をおき、この神から「許し」と「癒し」が得られることを信じるための「平和のあいさつ」です。今日もイエスの言葉「あなたがたに平和があるように」が心に響きます。
叫ぶ人(ベルリン)
世界中、遍歴し、叫んだ「大切なのは 平和、平和、平和!」
(ペトラルカ)
第4回運営推進会議議事録
日時:7月4日(日) 12 時~13 時 30 分
場所:集会室
参加者:9 名
1.報告事項
侍者の子どもたちの今後の支援
コロナ予防接種の申請で困っている方々の援助
日本語の手ほどき
庭の除草
給水菅の補修
掲示板の更新
教会便り7月号発行
ホームページ更新
第3回「受難劇による黙想会」が終了した。
「現代日本人の宗教意識調査」の分析をして、今後の福音宣教の糧とする。
2.議題
入口天井のペンキ塗り替え
コロナ予防接種申請の援助を続行
「現代日本人の宗教意識調査」の分析の続行
半年を過ぎて。教会を巡る現状と課題について、
意見を交換し、教会へ来れない方々への文書の
お届けや、ミサへの車での送迎等、高齢者が抱
えている緒問題に共同体として対処する。
文責:八木
現代日本人の宗教意識(2)
―ISSP 国際比較調査「宗教」によるー
編集子
薄くなる信仰心
信仰心について、あるかどうか、2018 年には、「ある(とても)+「かなり」+「まあ」)」は、26%。
1998 年には、「ある」が、52%であった。
2018 年には、「ない(「あまり」+「ほとんど」+「まったく」)」は、52%であった。1998 年と、余り変化はしていない。
しかし、細かく見ると、「まったくない」が、1998 年の 14%から、2018 年には 22%に増加している。
所で、「わからない」と答えた人が、1998 年には 3%であったのが、2018 年には、7%に増加している。
選択肢には、「どちらともいえない」があるにもかかわらず、「わからない」と答えた人が増加しているということは、そもそも、日常的に、信仰について考えたこともないということが増えていることを示している。
「信仰している宗教」の質問で、何らかの宗教を信仰している人の割合は、過去と比べて、変わらないけれども、「信仰心」は全体として、希薄になっていることが分かる。
何らかの宗教を信仰していると答えた人に限定して、「信仰心」について見てみると、2008 年には、「ある」と言う人が 65%であったのに、2018 年には、53%に減少している。
宗教を信仰している人の中で、信仰心を持っている人が減っていて現在では、過半数になっている。
日本人にとって、宗教を信仰するということは何を意味するのかということを考えさせる結果である。
ところで、「まったくない」という返答を、男女年代別に見ると、年代別では、男女とも、年齢が下がる程、多い。特に、男性 18~39歳では、42%にものぼっている。2018 年を 1998 年と比べて見ると、女性 60 歳以上を除いて、すべてのカテゴリーで増加している。
男性 18~39 歳では、22%から 42%と大幅に増加している。若年層の男性で「信仰心が全くない人」の増加が目立っている。
参照:小林利行:日本人の宗教的意識や行動はどう変わったか
~ISSP 国際比較調査「宗教」・日本の結果から
書評
74 歳 ないのはお金だけ。あとは全部そろってる。
著者 牧師 ミツコ、スバル舎刊
編集子
著者は、牧師の家庭に生まれ、父親は、家におかねがなくても、「うちよりもっと困っている人に分け与える人」であった。質素倹約を旨として育ち、神学校で勉強して、牧師の夫と結婚し、教会のない場所に教会を作る開拓伝道を始めた。長年、牧師の妻として過ごし、54 歳の折、不在がちな夫の代わりを務められるようにと牧師になる。2016 年に夫が帰天し、47 年間一緒に居られて、おもしろい人生を送らせてもらい感謝している。夫の没後、59 歳で主任牧師になり、神様に必要とされ、ありがたくうれしい日々だった。現在、1K の公営住宅で、一人住まいを満喫し、祈りの会に出席し、日曜日の説教を時々、担当し、協力牧師として、週 2 回、教会通い。
クリスチャンの考え方では、この世では旅人。生きているのは天国へ向かう旅の途上。死は、神の許への旅立ち。死は終わりではなく、始まり。神から天に召される時、人の命が尽きる。だから、今暮らしていけるだけのお金があれば、備えは要らない。生きているのにどうしても必要なもの以外はもたない。毎月、限りあるお金を、人の為には気前よく使う。週 3 日、2 時間程、シルバー人材センターで働いて、それを教会の献金にあてている。
食事は、三食、手作りで、食卓にはいつも野菜を並べ、運動は健康維持には欠かせない。
一番大事な仕事は、電話や訪問で話を聞くこと。仕事と言うより、神から与えられた使命。楽しくないと人生じゃない。何事も集中して楽しむ。ありのままの自分を大切にして、誰に対しても、決して、態度を変えない。子育ても、介護も、目標は相手の自立。自分のことは、自分で出来るようになることが大切。
難しい問題には、あきらめずに、五年先、十年先に解決できればいいと長い目で見ている。
見渡せば、必要なものは、全部そろっている。
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